日別アーカイブ: 2010年4月13日

私が米国ではじめて銃を撃ったとき

この記事では「私が米国ではじめて銃(RIFLE)を撃ったとき」の体験を紹介します。これは地球のある方には乗っていないNY観光です。

最初に注意してほしいのは、NYCでは銃の携帯は基本的に禁止されています。そして自宅で所持するのにも許可証が必要です。私はNYCでは警官が持っている以外の銃は見たことがありませんでした(他の州がどうかは私はよく知りません)。去年Times Squareで発砲事件があったときには、地元メディアがこぞって取り上げていました。でも、私個人としては銃でどうのということは一度もありませんでした。

NYCの市長選挙の討論会で「これまでの人生で一度でも銃を所持したことがあるか」と市長候補達が質問を受けていたのを覚えています。彼らはみな「一度も持ったことがない」と回答していました。また、私がお世話になった英会話学校のNew Jersey州出身の女性教師も「銃なんて野蛮なもの、これまでの人生で一度も触ったことない」と言っていました。このようにNYCでは日本人が想像しているようには銃は身近ではありません。

そして話を私自身の体験に戻すと、「米国にいるんだから銃は体験しておくべき」とMichaelにNYCの郊外、Long Islandにある射撃場に連れていってもらいました。MichaelはNYCでは銃を所持していませんでしたが、Floridaの別荘には銃を揃えており、銃の扱いも十分に知っていました。一緒に行ったPatriciaも、スイスでは一家に一挺は銃を持っているという「永世中立国」なので、銃については経験あるようでした。

NYCから車で1時間弱、地元の人達が通う射撃場に行きました。そこは観光客向けじゃない場所でした。一度グアムで観光客向けの射撃場がどうなっているのかというWeb記事を読んだことがあります。そこでは安全第一なので、自由度がほとんどないそうです。一方、私が行った射撃場はほとんど全てが自由でした。そこでは銃と弾、そして目を守るゴーグルと騒音対策の耳あてを渡されて後は好きに撃つことが出来ます。あまりの自由さに呆然としました。地元の人間であるMichaelがいなかったら、絶対に来れない場所だなと思いました。

私達が選んだのは9mm RIFLEと 22 RIFLEです。かの有名なAK-47も選べたのですが$20高かったので止めました。私はそこまで銃にこだわりはありませんでしたので。

Michaelに弾の込め方、打ち方を教わりました。銃の取り扱いは私にも簡単に出来ました。そしていざ撃ってみると、衝撃はある程度ありましたが撃ちやすい銃でした。エアガンを撃つのと似たような気分で撃つことが出来ました。これで人が殺せるなんて嘘みたいだなと思いました。

RIFLEは照星aimがしっかりとしていれば、素人でも割と思ったところに撃てます。22 RIFLEでは駄目でしたが、 9mm RIFLEでは照星がしっかりとしていたのかかなり的に当たりました(詳細は記事最後の写真を参照)。MichaelとPatriciaは二人とも経験があるため、かなり堂に入った構えでした。私は最初へっぴり腰でしたが、数十発も撃っている内に慣れてきました。日本では決して出来ない貴重な経験でした。

そして数十発の弾を打ち終わった後は売られている銃を見学しました。実際にズラッと銃が並んでいるのをみると、銃の所持が基本的には違法の日本社会で育った身としては複雑な思いです(日本でも田舎だと猟銃を持っている人がいます)。

以上で私のはじめての銃(Rifle)体験の紹介を終わります。地球の歩き方には載っていない貴重な経験をさせてくれたMichaelには感謝です。

移民達で成り立つ米国社会。移民を受け入れ続け、変わり続ける米国社会。

この記事では「移民達で成り立つ米国社会」について紹介します。この記事で述べている内容は日本社会で今もっとも欠けている、早急に補わなければならない考え方だと私は思っています。ですので読者の方々にはこの記事の内容はちゃんと伝わってほしいです。

私がNYCに滞在中に接した多くの人々は移民たちでした。子供のとき、成人してから米国に渡ってきた移民1世、親が米国に来た2世、祖父母が米国に来た3世、こういった移民の人達と日常的に接していました。彼らの民族は様々です。そしてエリス島移民博物館で学んだように、米国は移民で成り立っているということを彼らと接していて強く感じました。

現在放送中の「NHK ハーバード白熱教室」を見ていて、教室にAsia系留学生(中国・韓国)、インド系留学生が想像以上に多いことに気付きました。彼らの多くは大学卒業後に米国で働くでしょうから、彼らは新しい移民世代になるのだなと思って番組を見ていました。米国はかつてはユダヤ人、イタリア人といった欧州からの移民が多かったです。しかし、現在は東アジア、中央アジアからの移民が多くなっています。一方ここで日本の場合を補足説明すると、日本の大学を卒業しても日本で就職するのは1割未満だそうです。4/6放送のクローズアップ現代、「シリーズ アジア新戦略 アジアの“人材”を呼び込め」でそう言っていました。

米国社会というのは例えるならばiPhoneのような社会だなと思います。

  • 米国社会=iPhone、
  • 移民達=10万本以上あるApplication Soft(APP)。

APPは玉石混交ですが、中には本当に優れたAPPがあり、それがiPhoneという端末の魅力を格段に高めています。そして役に立つAPPは時と場合に応じて、常に新しいものと入れ替わります。

まず米国社会という移民が活躍できる舞台がある。そしてその舞台の上で時代に応じて様々な移民たちが活躍している。米国はそんな社会だなと思いました。このような米国という国家の仕組み、Operating Systemはとても優れていると思います。米国社会は人種・国籍に拘ることなく、常に優秀な移民達を受け入れています。だから変化に対応して、新しい産業を創出し続けることができます。

母国で活躍の機会のない人達が米国に集まる理由を今は理解できます。そしてまた、日本の閉塞感に絶望した優秀な人達は米国に移住したくなると思いました。米国は優秀な人間にはとても優しい国です。私より下の世代の日本人はより英語が出来る世代だと思います。ですからこれから日本の国際的地位が下がるに伴ない、日本を脱出して米国(またはその他の国々)に移り住む優秀な若者も増えるだろうなと今は思っています。

そしてこんな生まれを気にしない実利主義の米国社会と比較すると、日本は未だに日本人という生まれ、言い換えると遺伝子(gene) に拘っているように思えます。これから日本は「日本人という生まれ」を尊重する考え(gene)を捨てて移民を受け入れる社会になるのでしょうか。つまり、生まれに関わらず自分たちの国を栄えさせる人々を優遇する社会、情報遺伝子(memeミーム)を重視する社会に今後なることはあり得るでしょうか。

日本も米国同様に自分たちの血筋という概念(gene)を捨てて、自分たちの国を栄えさせる人々(meme)を優遇する社会になれば、日本の姿もだいぶんと変わると思います。それはこれまでのような同一性社会じゃないから簡単ではありません。でも、多様性や変化に富んだ面白い社会になると思います。

日本が移民を受け入れる社会になるかどうかは私には分かりませんが、とりあえず移民が集まるNYCでは世界各国の美味しい料理を食べることが出来ます。日本でも他国の美味しい料理は食べれると言ったら、「日本にあるのは日本人向けに味が調整された料理ばっかりだろ」とグルメなユダヤ人の友人から言われました。これはその通りだと思ったので、反論出来ませんでした。

以下、Twitter上でもらったReplyを紹介します。

  • もともと日本の家制度って「血」じゃなく「名」だったので意外とすんなりかも?
  • 日本はこれから移民を受け入れる社会に確実になる。遺伝子gene、利己遺伝子ミーム、レベルから明らか!経済学だけではなく、人口動態の点からそうなると判断できる。
  • 日本人が拘ってるのは、gene(血筋)ではなく、その時の村社会の空気(曖昧で繊細な合意、流行)ではないかと。依拠するものが一点の血筋なら、関係が独立な八百万な物神信仰や、これほどころころ興味の対象が移り気な社会にはならないと思いますが、どうでしょう。そして、memeを重視できればいいんですが、そもそも八百万故に、選択肢に甲乙つけられないという障壁があるかと。日本人が評価すると、どのmemeも同着。仲良くゴールになっちゃう気がします(笑)。
  • 生まれに関わらず自分たちの国を栄えさせる人々を優遇する社会、情報遺伝子(memeミーム)を重視する社会に今後なることは…ー残念ながら、現時点ではかなり困難かと。インドネシアの看護師さん受入に否定的な人の多さに驚愕。日本語と看護師国家試験を、短期間限定で課す無謀に加え。

自由の女神、エリス島移民博物館観光

この記事では去年の11月に自由の女神Statue of Libertyを観光した際の事を記します。自由の女神観光にはスイス人のPatriciaと行きました。私は去年の11月時点でNYCにすでに4ヶ月滞在していましたが、まだ自由の女神観光には行っていませんでした。まだそこに行ったことがないという話をPatriciaとしたら、それなら一緒に行こうかと二人で行くことになりました。Patriciaとは年が同じ20代後半、そして経営学専攻も共通、あと彼女もちゃんと英語が話せるということでとても話しやすかったです。

ここで注意ですが、自由の女神観光ではあらかじめ計画を立てておきましょう。自由の女神の「台座」と「王冠」は人気があるので事前予約が必須です。私達のように3日前くらいに思い立って行こうとしたら、「王冠」はおろか「台座」にすら入れません。特に「王冠」は人気があるので、2ヶ月前くらい前から予約しておいた方が良いと思います。

当日は風は少し冷たかったですが、青空広がるとても気持ちの良い一日でした。私達はManhattanの南端にあるBattery Parkから自由の女神があるLiberty Islandまで船に乗って自由の女神へと向かいました。道中の船内は観光客ばかり。米国人は少ししかいなかったと思います。

船出とともにみなデジカメを構えてManhattanの高層ビル群の写真を喜んで撮っていました。私達も一緒に写真をパシャパシャと撮りました。観光客のやる事は万国共通です。ちなみにNYCで観光客が持っているデジカメはCanon、Nikon、SONYと日本企業のデジカメが多かったです。日本製携帯電話は米国では惨敗していて全く見ませんでしたが、デジカメは上手くいっているようです。そして船内では様々な言語が飛び交っていました。英語はほとんど聞こえませんでした。中には20代の女性数人が、コテコテな大阪弁を話しているが聞こえてきてちょっとびっくり。

自由の女神はManhattanから、たとえばBrooklyn BridgeやManhattan Bridgeからでみ見えますが、小さすぎてありがたみが全くありません。Manhattanから自由の女神を見ると、思ったよりも小さいものなのかなと思っていました。ですが、さすがに近くから見ると台座を含めて全高93mあるだけあって大きいです。まだ高層ビルがあまりなかった19世紀後半にNYCに訪れた移民達にとっては自由の女神像は忘れられない存在になったと思います。

現地ではとりあえず自由の女神を背景に同じ格好をした写真を撮ってもらいました。そして当日はAudio Tourを申込みましたが、これは一人の時にのみするべきです。2人で行くと会話が全くなくなります。だから後半は2人とも聞くのをやめて話しながら観光していた。

そして実は、自由の女神があるLiberty Islandにはあまり長時間居ませんでした。台座にも王冠にも登らなかったので、見る所もそれほど無かったですし。自由の女神の周りを一周して二人で「これでNYC観光の義務は終えたね」と言いあったのを覚えています。

次に船で訪れたのがエリス島移民博物館 Ellis Island Immigration Museum、ここは面白かったです。いつものように地球の歩き方 ニューヨークから抜粋紹介します。

自由の女神から926mほど北にあるエリス島は「移民の島」として知られる島だ。現在のアメリカ国民のおよそ40%にあたる人の祖先は、このエリス島から入国したといわれている。ここに移民局が設けられたのは1892年。以来閉局される1954年までの約60年間に、1700人の移民がここから上陸、現在のアメリカを築いてきた。

このエリス島移民博物館では、かつて移民たちがどのような入国審査を受けたのか、そしてどんな移民達が米国に来たのかということを知ることができます。ここで米国という国が昔から移民たちによって成り立っている事を知ることが出来ます。またエリス島では危険を賭して渡米しても、病気などの理由で入国できずばらばらになる家族もいたそうです。そういった理由からエリス島は、「涙の島」とも呼ばれていました。そういった歴史も知ることができます。そしてまた、私達の先祖である日系移民のゆかりの品もありました。このエリス島移民博物館は興味深い情報がたくさんあるのでお勧めです。自由の女神観光だけで疲れ果てないように余力を残しておきましょう。

自由の女神とエリス島移民博物館で観光は一通り終わり(所要時間 約4時間)、その後2人でChina Townで昼食を取りました。そこではPatriciaは箸をあまり上手く使えなかったので、ナイフとフォークを使っていました。充実した1日でした。自由の女神とエリス島移民博物館はNYCを訪れた観光客は一度は必ず訪れるべき場所だと思います。観光の際には最初に述べたように事前予約をしっかりとしておきましょう。