英語が出来ない教師が英語を教えている。

文部科学省が公表している上記の資料を読んで、日本の英語教育の問題に気付きました。特に「3 教員の英語力について(新項目)」について熟読してください。

調査に協力した英語教員17,627人のうち、英検準1級以上、またはTOEFL(トーフル)のPBT550点以上、CBT213点以上、TOEIC(トーイック)730点以上のスコアを取得している者は、8,539人(48.4パーセント)。

なお、外部試験の受験経験のある者のうちでは、74.2パーセントが英検準1級以上(TOEFL(トーフル)等を含む)を取得している。

この資料は高校の英語教員でTOEIC730点、TOEFL550点、英検準一級の取得者は半分未満という結果を明らかにしています。はっきり言って、この程度の英語力ではロクに使い物になりません。そんな低い水準でも、高校の英語教師では達成者は半分未満。この事実に本当に愕然としました。

特に日系企業がこれだけ口喧しくTOEIC, TOEICと昨今言っているのに、教える側の半数ががそもそも730点にすら到達していないという事実に驚きました。私としては英語教師を名乗るからには最低でもTOEIC 860点は取得してほしいと考えています。そして860点は別に普通の人でも努力すれば取れる点数です。最低限この点数に到達できるだけの専門知識があって、はじめて高等学校にふさわしい英語を教えることが出来ると思います。専門知識である英語能力が不足しているようでは、生徒への指導力云々を語ってもまるで説得力がありません。「TOEIC730点も取れない英語が出来ない先生」が英語を教えているという事実が空恐ろしいです。国語教師で例えると、常用漢字も満足に身につけていない教師が教えているようなものです。

ということをTwitter上に書いた際にいくつかの反論が来ましたので、その反論と私の再反論を合わせて紹介します。

反論1 受験経験者は74.2%が持ってます。半数以下というのは受験経験がない者も母数に含めているからです。

再反論 そもそも受験していない教師がいる事が問題なのです。日系企業がこれだけTOEIC、TOEICと口喧しく言っているのになぜ受験していないのでしょうか。教師は学校の外の社会に関心がないのでしょうか。

反論2 教師になろうという人が企業が必要というからTOEICを受験しようというのは論がつながらないと思います。もっとシンプルに言えば,企業に行く人は受けるかもしれないけど,企業を考えずにいる人は要求されてない以上受けない(受験料もあるし)というのは極めて自然な選択では?ということです。学校教員の試験に含まれてないから受けてないだけ,ということです。

再反論 教師は社会で求められている英語力、企業が社員に求めている英語力を生徒に身につけさせる必要はないと考えているのでしょうか。また、そういう教師は学校の外の社会には関心がないのでしょうか。

反論3 現職の教員だと時間を確保するのは難しいというのがあるのでは?話を聞く限り小中高の教員も多忙です。例えば部活動にからむと休日が一日もなくなるとか。

再反論 TOEIC試験のために、日曜日の半日を使う事が出来ないとは考えられません。もし日曜日の半日すら時間を開けることが出来ないというのであれば、それは教師の過重労働という由々しき問題です。

一連のやりとりをしていて、社会のことを、生徒の未来のことを考えずに自分たちが所属する学校制度の事しか考えない教師に教壇に立ってほしくないと強く思いました。私ならそんな人の授業は聞きたくないです。そしてまた、そういう教師を生み出す日本の教育現場とはいったい何なのだろうかと考えさせられました。

先生たちは学校の中で一生を終えられるかもしれませんが、生徒は学校を卒業した後に社会で競争をしなければなりません。それなのに学校の中に引き篭り、また社会の事に関心のない人達が、学校の外の社会を生きなければならない生徒達を教える事が出来るのでしょうか。この現状に気付いて本当に怒りを感じました。

ただ、文句を言っているだけでは現状は何も変わらないので、以下にじゃあどうすれば良いのかという改革案を記します。問題の根源は英語が出来ない英語教師ではなく、そのような教師を生み出す制度の方にあると私は考えています。

改革案1 教員採用過程の透明化

Twitter上で多数のReplyをもらったのが、教員の縁故採用、またそれに伴う汚職についてです。どうやら教員の採用過程においては、教員自身の能力よりはコネの方がはるかに大事なようです。そして、これは地方にいけばいくほど酷いみたいです(これらについてTwitter上で教えてもらった内容は聞いていてあまりの腐敗ぶりに気分が悪くなりました)。教員の質を確保するためには、客観的な採用基準を内外に明確に示して、何をもってその人を採用したのかを明らかにする必要があります。

改革案2 英語力に乏しい教師への対応

現在すでに英語教師となっているにも関わらず、英語力が十分でない教師には研修を受けさせて英語力を向上させるか、その他の職へ配置換えをする。最終的には、教員の免許を更新制にして、5年、もしくは10年毎に教師が必要な能力を身につけているかどうか確認するようにする。

改革案3 教員の給料の向上

優秀な人材を引きつけるために、教員の給料を挙げる。また、教員採用において汚職が蔓延る原因の一つには教員の給料の低さがあると思います。

改革案4 教員の事務作業軽減

小学校〜大学の事務員を増やす。教員が事務をしなければならないという現状はおかしい。教員が教育に専念、また自身の専門性を高められる体制を作る。

改正案5 民間企業経験者を教員に採用する

「実際にどのような英語が社会で求められているのか」そういったことを把握している民間企業経験者を教育現場に採用する。そうすることで、教える内容が時代遅れや時代錯誤なものにならないようにする。

私が考えた改革案とTwitter上でいただいたReplyをまとめたものは以上になります。他にも良い案があるという人がいらしたら、Commentをお願いします。

ただ、これらの改革はとても時間がかかると思います。私自身がすぐに出来ることはといえば現在書籍化の話が来ている「実用的な英語を習得する方法」の学習ノウハウを世の中に広めて、1人でも多くの人がまともな英語を使えるようにすることくらいかなと思いました。問題をすぐに解決出来ないことがとても歯がゆいです。

6月18日追記

Twitterでこの記事について議論をしていて、どうも話が噛み合わないなと感じたのは、「英語教育の目的をどこに置くか(置かざるをえないか)」という点がそれぞれの関係者で全く異なっていたためだということが分かりました。

私の立ち位置は一番最後です。私や一部の企業は「日本国内のみで通用する受験英語教育」ではなく、他国との競争を視野に入れた英語教育を望んでいます。そして、現状の教育制度では、TOEFL上位5カ国とはまともに伍する事が出来るとは思えません。日本国内のみでしか通用しない英語教育では「ガラパゴス」です。こんなガラパゴス英語では日本国内から出た場合、役に立ちません。

高校の英語教師がTOEIC、TOEFL、CBT、英検を軽視しているのは「受験英語」が最も大切で、これらについて教えることは求められていないからです。現状の制度がこうなっているから、親や生徒からしたら受験英語の力が身につく事が最も大切な事であるため、必然的にそうなるのでしょう。でも、これはもう止めませんか。大学受験時にしか使えない英語を学ぶのは日本と日本人の資源を無駄遣いしています。中学・高校で6年間も勉強して「読解」能力しか身につかない、「聞く」「話す」「書く」能力が身につかない英語教育はおかしいです。

学校教育の考え方を大きく変えるためには、現状の制度・仕組みを変えなければいけません。私が挙げたいのは「現状の大学受験英語の廃止(特に何のためにやっているのか分からない、難関大学の生徒を落とすためだけの試験問題)」です。日本人同士でしか競わない現状の大学試験入試よりは、他国の人々と競い合うことになるTOEFL、TOEIC、CBTの方がまだましに思えます。

そして私がここで書いたようなことは出来れば、門外漢の私ではなく、日本の英語教育と日々まさに向き合っている英語教師の方々からこのような意見がもっと出てほしいです。「現場を、教師の世界を知らない人間が何を言っているのか」というReplyが来ましたが、分かる訳がありません。なぜなら現場から十分な情報発信がされていないからです。この点については現職の方々はどのように考えておられるのでしょうか。目先の問題を解決する事だけに終始して、私がここで書いたような問題については興味や関心がないのでしょうか。それとも何か取り組みをされているのでしょうか。具体的に何か取り組みがあるということでしたらこの記事へのCommentをお願いします。教育の現場を見ていない私たちにも分かるように情報発信をお願いします。現在の学校英語教育に対してとても強い不満を持っている人達に対して「現場を知らない人間が口を出すな」と言うだけでは、問題から目を背けていると批難されても仕方がないと思います。

6月21日追記

この記事に書かれている内容、楽天の三木谷社長の危機感がまさに私が感じている危機感です。この危機感が一部の人達に全く伝わらない現状がとても残念です。

「大学で勉強していない人は就職が難しくなると思いますよ。中国人や韓国人は最低2か国語を話せて、専門知識の勉強もしています。これまでのような会社に就職してから教えてもらうという考えでは、外国人と同じ土俵に立てません」

現状の学校制度は古いままなのに、いきなり「ルールは変わりました。これからは専門能力と語学力が必要です」というのも学生にとっては酷な話。例えばこれまで記事を書いていますが、現在のような日本の学校教育を受けているだけでは決して十分な語学力は身につくことはありません。それでも企業は学生に語学力を求めるようになってきました。

6月24日追記

学校での英語教育を廃止せよ

この記事と同様の主旨、そしてさらに過激な解決方法を提言している記事を見つけたので参考にしてください。

お願い

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英語が出来ない教師が英語を教えている。」への16件のフィードバック

  1. 生徒の大半が企業に就職してサラリーマンになるのに、ほぼ全ての教師やその関連機構が、企業での就労経験がないんだから、ズレがおきるのは当然ですよね。

  2. HALさんが熱心に問題を見極めようとする姿が見えます^^:ただこういった問題は,冷静に分析すべきですし,かつ一朝一夕の問題では無く,今に始まった問題では無いように思えます.

    さて,専門家ではないですし,英語力に乏しい自分がコメントすべきでないですが,気になる点があります(ただ,この問題点に目をつけたのは立派だと思います)

    改革案1,3に関しては今回提示された問題点とは間接的な対策になる可能性はあるにせよ,<直接的>な対策ではないと思われます.

    改革案2,4に関しては対策としては,個人的には申し分ないです.

    こういった問題解決の手法としていくつかあるのですが,特性要因図やパレート図を使うと,最重点の要因を見つけ対策を踏みやすくなるかと思います.

    また問題解決には,教師からヒアリングするなど,データだけにはとらわれない現状把握が必要かと思われます(大変ですが・・・)現状把握が間違った方向にいくと,適切な対策(対策も間違った方向に行くから)が踏めないからです(現状把握も,一人だけでなく他者でも共通の認識が必要です)

    また,TOEIC偏重になりがちですが・・・あくまで試験は普遍的にいま自分がどのレベルであるかを示す一手段であって,本来大事なのは点数ではなくて,実践で使える語学力を持っているか否かだと思います.

    Twitterで素晴らしい意見がありましたが,外国人教師の採用には,一つの対策(改革案)として同意です.

    最後に,長文&本質を捉えたコメントになっていなくて,すみません.

  3. 塾で英語を教える大学院生

    いまの高校生のレベルが非常にひくいんですよ。
    それこそ高校生なのにBE動詞が何かもよくわかってなかったり。
    偏差値的に真ん中より上くらいの高校の生徒でもそのレベルです。
    教師はたかい英語力持っていてもほとんど意味がないんです。授業でまったく生かせない。
    重要なのはいかにそのレベルに合った教え方ができるかでしょう。
    英語力がかなり低くても授業が非常にウマイという人はいます。その逆もまた然りです。
    だからといって英語力はいらん、ということにはならないとは思いますが。
    また、高偏差値の高校もあって、そういうところでは教師の英語力も高いと思います。
    そうでないと指導できないでしょうから。

  4. 上記でコメントしたものです.

    著者だけが身元を明かして,僕だけ身元を明かさないのは不公平なので,twitter上のアカウントを明かします.@humiya_jpです.

    僕個人は教師ではありませんが,皆さん危惧されているように扱うには有益な問題だと感じているので,何か意見がありましたら,喜んで積極的にディスカッションしたいと思っています:)

  5. そもそもなぜ英語ができない教師が作り出されているのかという視点も大事だと思います。

    ずばり、教師たちが受けてきた教育に問題があるのではないでしょうか。つまり教師の卵たちが大学で受ける教育と、彼らを育成した大学教員のことです。

    大学の先生たちは実用的な英語ができるのでしょうか? そのへんからして既に大いに疑わしいのではないでしょうか?

    実用的な英語力の無い「教師の教師」が実用的な英語力を持った教師を育てることはできません。

    私は大学の教員の入れ替え(リストラ)が必要だと思っています。

  6. 今更ながら、Bloggerはトラックバックが出来ないことが判明したので、コメント欄に失礼します。

    http://kaigai-shushoku.blogspot.com/2010/06/blog-post_18.html

  7. アメリカへ正規留学中の者です。

    私は外国人教師の積極的採用、大学英語入試の全面撤廃+TOEFL化を推奨します。

    まず、欧米の大学で非ネイティブが外国語を教えるということはほぼありません。これは日本と欧米諸国の間にある第二言語教育の決定的な違いです。

    欧米諸国の第二言語教育者はネイティブかつ語学を教えるプロなので、READING, LISTENING, WRITING, SPEAKINGを効果的に教えることが出来ます。そして授業はほぼ学習対象言語のみで進行されます。事実、私のLEパートナーである日本語専攻の現地学生達は、日本の学生の英語力を遥かに凌ぐ日本語能力を持ち合わせています。私は彼・彼女達がそれなりに通じる日本語を喋りだした時、とてつもない衝撃を受けました。

    しかし、言語を教えるプロであっても非ネイティブが言語教育を行っている日本では、おのずとWRITING, SPEAKINGは穴となります。何故なら非ネイティブでこの二つの能力を国際基準並に扱える人材は数%に満たないからです。受動的英語(READING, LISTENING)はネイティブを通さなくてもそれなりに学習出来ますが、能動的英語(WRITING, SPEAKING)はどうしてもネイティブとの交流を通して経験を積まなければ実用的なレベルに上達しません。

    英語が出来ない人間が英語を教えて、どうして英語が出来るようになるというのでしょうか。これは私が日本で英語教育を受けてきて感じていた疑問であり、私がアメリカに留学するきっかけにもなった事実であり、事の真相でもあるはずです。中学生時代、帰国子女の友達が「日本の英語教育は日本を滅ぼすよ」と口癖のように言っていたのを思い出す度に、日本の異質な英語教育の存在に寒気を感じるのです。

    次に、大学入試の全面撤廃に関して。

    英語教育の本来の目的は、英語を「TOOL」として利用することが出来る、国際的な人材を育成することに尽きます。英語教育の目的が、英語のお勉強自体になってしまっていては、本末転倒なのです。そして、残念ながら日本はこの本末転倒な結果が招いた深刻な事態に巻き込まれています。既に日本は国際化の波に乗り遅れ、経済的デメリットを拡大する原因になっています。それこそがHALさんが鳴らしている警報であり、今最も解決するべき緊急の問題であり、楽天の三木谷氏等が行っている日系企業改革の理由でもあるのです。

    では、日本の英語教育の根源は何処から来ているのでしょうか?この問いに対し、大学入試以外の何物でもないと私は考えます。HALさんも述べているように、小・中・高と一貫して行われる英語教育は、全てがピラミッド構造のように大学入試突破へと向かっていきます。よって、「大学入試自体が国際的な英語力をつけることの出来ない本末転倒な内容の試験であれば、日本の英語教育も国際的な英語力をつけることの出来ない本末転倒な授業内容になる」ことは明らかでしょう。

    ですので、大学入試を全面撤廃して、TOEFL化した方がまだマシだと考えます。何故TOEFLかと言えば、それはTOEFLが今唯一世界で通用する英語試験だからです。海外の大学入試には、TOEFLが課せられています。READING, LISTENING, SPEAKING, WRITINGの4つのセクションに分かれているので、受動的英語と能動的英語を均等に学ぶことが出来ます。

    もし、大学の入試が全てTOEFLになったら、どうなるか想像してみて下さい。とても面白いことが起こるはずです。日本の英語教育内容の全面的な変更が余儀なくされます。そうなれば、講師陣も変わらざるを得ません。日本人が高校では既にろくな英語を喋れるようになるでしょう。卒業後、実用的な英語が身についていれば、海外の企業で働いたり、海外の人たちが日本に働きにくる割合も格段に増えるはずです。これらの変化によって、文部科学省、生徒と親、高校教師、日系企業等それぞれが求める英語と、求められる側の英語が一致し始めるのではないでしょうか。

    こうした議論が活発に行われるのは素晴らしいことですね。HALさんが提供して下さっている場に感謝しつつ、より建設的な議論が行われることを楽しみにしています。

  8. ピンバック: The Wisdom of Crowds – JP へ投稿したコメント - rokA-jp

  9. 通りすがり

    rami2929さんの大学入試をTOFELにするという案は、いいですね。賛成です。

    でも、残念ながら日本はそうならないと思います。なぜなら、大半の高校英語教師を再教育する必要が出てくるから。高校英語教師を総取替えするなんてことは不可能なので、再教育することになります。でも、そんなこともできるわけがないので、こういう案が出てきたら、「どうやって、教員を再教育するのよ?」、「その再教育にかかる財源はどうするのよ?」、「今、高校の英語教師になろうとしてる大学生はどうするのよ?」という話になって、「そもそもそんなことは無理なんだよ」で終わりです。

    • rami2929さんの案を一部の学校を選んで実験的に導入する。そこで成果があれば、上位校から全体に広げていくというのが良いかなと思います。

    • 議論は反論しあうことで初めて意味を成す、という私の教授の教えを活かすべく、再度コメント失礼致します。

      まず事実として、いくつかの日本の大学・大学院では既に大学入試の英語試験にTOEFLを採用しています。
      https://docs.google.com/viewer?url=http://www.due.t.u-tokyo.ac.jp/guide/admission10.pdf
      http://www.eng.tohoku.ac.jp/admission/?menu=toeic
      http://subsite.icu.ac.jp/admissions/screening_system/society.html

      また、大学がどんな入試試験を採用するのかと、中学・高校がどのような英語教育を行うかは、はっきり言ってしまえばそれぞれの勝手です。この点は明確にしておかなければなりません。

      上記の2点を踏まえ、一つの可能性を示唆します。それは、大学の英語入試が先にTOEFL化していき、中学・高校の英語教育がそれに引きずられていく形で改善される可能性がある、ということです。

      何故、いくつかの大学が今までの英語入試ではなく、わざわざTOEFL採用にいたっているのでしょう?それはずばり、大学側の問題意識の現われ、そして実用性の高い英語力、すなわち均等な英語力を測定する試験としてTOEFLが認められたからです。

      1つも大学が入試をTOEFL化していないというのであれば話しは別かもしれませんが、既にいくつかの大学が採用しているのです。これはある種の改革を既に実行している大学があるということです。そしてこの余波が他の大学へ伝わっていく可能性は十分にあります。少なくとも、大学の入試がTOEFL化、あるいはより実用的な実力を測るテストへと移っていく傾向は既に出始めているのです。

      ではそういう流れが加速し始めた時、中学・高校の英語教育はどうするべきか?これは通りすがりさんが指摘した通り、改革が困難であることは確かだと思います。大学の入試試験TOEFL化が進み、さぁ、今までの高・中の英語教育じゃ太刀打ち出来ない、どうにかしなければ!となった時、国がどういう制度改革を行うかが鍵になることと思います。

      歴史に名を残す多くの革命も、生半可ではない痛みを伴いながら繰り返されてきた結果、現代の豊かな時代が築かれました。こうした議論がもっと活発に行われ、国策を推進している上層部の方達まで巻き込むムーブメントが起きれば、可能性は多いにあることでしょう。

  10. 高校の英語教師をしている者です。

    非常に刺激になる議論で、自分も忙しいとか言い訳していないでもっとがんばらねばと、火をつけられる思いです。

    せっかくですから、現場からもいくつか別の視点を。

    私の職場は全国的に見れば中堅校だと思いますが、在籍する生徒の層が広いため、教師にも棲み分けが起こっています。真面目な話、少々難しい数学の大学入試問題を解けない(解く意志がない)数学の教師が存在します。私は担当は英語ですが数学が得意です。私の解ける問題が解けない数学担当の同僚がいるわけです。同じ事が例えば世界史についても言えます。私は世界史も学生の頃から大好きなので、ついつい世界史の授業を参観したり議論に参加したりするのですが、一部には話についてこれない世界史の教員がいます。情報の教員に関しては、何をかいわんやです。でも、それって「ごく普通」です。ちょっと偏差値が高い生徒(しかも教えている生徒たちの中には存在しない)が一部の分野について「おれのほうが先生よりよく知ってるぜ-」と言っているだけのことです。同僚の名誉のために付け加えておくと、彼らは「教師」としてはまずまず有能な人たちです。教科指導は必要十分にできますし、外から見ている人には分かりにくいかもしれませんが、教員って教科以外のもっとやっかいなものに対処する能力を頻繁に試されるのです(そういう能力が無いために教科能力の高い教員が刀折れ、矢尽き果てて職場を去っていくのは悲しいことです)。もし、彼らが(職場的な需要は満たしているのに)教科能力が十分に高くないという理由で数学や世界史担当から配置換えを要請されるのだとしたら、どれだけの人間が残るでしょう。私自身も今の職場では「とても頭の良い人」扱いをされていますが、去年初めてTOEICを受けてみたら700点台半ばでした。このブログでは英語の先生を名乗るわけにはいきません。

    未来ある生徒には多様な選択肢が与えられます。教師になりたいという夢で目を輝かせる生徒も当然います。いつか自分が子どもたちの夢を叶えるために力をかしてあげたいと教員になるために努力をする生徒のほとんどは、仮に運良く教員になれたとしても残念ながらそれほど教科能力が高いわけではありません。我々は子どもを平等に扱う社会に生きていてそれを常識にしていますが、本当は絶望的な差が存在しています。偏差値のやや低めの大学に進学するような学生は、教員になったからと言って大学入試問題がどれでもスラスラ解けるようになるわけではないのです。彼らはたとえ英語の教員になってもTOEIC860点を取るようなことは不可能でしょう。世の中には実はそういう人のほうがたくさんいます。世の中にはたった20個程度の英単語を覚えるのに一晩かかってもできないという「普通」があるのです。驚くことに。私は今のところ「きみは『普通』になるのは無理だから採用試験を突破できたとしても教員になるのはやめておきなさい」という指導はしていません。なぜその程度の学力で採用試験を突破できる可能性があるかと言ったら需要と供給の問題です。世の中の優秀な人間が押すな押すなで教師を目指すわけではありませんから、ある程度需要があればハードルは下がります。ブログ主さんが提案されている教員の「給料の向上」や「事務作業の軽減」は素晴らしいと思いますし、それで優秀な人材がどっと流入し一部の現役教師が淘汰されればいいのですが、財政上の問題とおそらく世論の猛反対で実現は難しいでしょう。

    • >私は今のところ「きみは『普通』になるのは無理だから採用試験を突破できたとしても教員になるのはやめておきなさい」という指導はしていません。なぜその程度の学力で採用試験を突破できる可能性があるかと言ったら需要と供給の問題です。世の中の優秀な人間が押すな押すなで教師を目指すわけではありませんから、ある程度需要があればハードルは下がります。

      自分は高校の教員ではないですが、正直に、きみは教員になるのはやめておきなさいと言うべきです。間違っている事を、生徒に教えてあげるのは、早ければ早いほどいいのでは。適さない生徒が教員になれば、本人、社会、そして不適応な教員に教えられる生徒にとって、取り返しの出来ない悲劇に終わるかもしれません。学校、すなわち学ぶ為の場所は、生徒は間違える事を恐れず、また教師は生徒の間違えを正す事を恐れずに修正することが本来の教師の役割では。学校における生徒の大きな失敗、間違いは法律を犯さない限り許されますが、実社会においての軽率な失敗、間違いは取り返しの悲劇を生む可能性があるのです。少なくともアメリカやカナダ物理の世界では、だめな人にはだめだと言ってます。理想と現実は時折、無限とも思われる距離が有りますが、理想に可能な限り近づこうと終始努力をせねば、理想は手からすり落ち夢に終わってしまいます。生徒には、価値があるもので、簡単に手に入る様なものは何も無く、容易に手に入る物で価値がある物など何も無いのだ、言ってみたら良いのでは。世界中には日本人も含め、優秀かつ又努力を惜しまなくする人たちが数えきれないほどいくらでも居るのです。因に、語学は必要さえ有れば、個人で教材を見付けて学べます。逆に言えば必要が無ければ、何をしても語学は楽しい趣味で終わります。

  11. ピンバック: 続「英語ができない教師が英語を教えている」の件で後日TwitterでもらったReplyのまとめ « The Wisdom of Crowds – JP

  12. たまたま読ませていただきました。こういう議題が討論されること自体はとても素晴らしいことで、また必要なことだと思います。

    私は基本的に、rami2929さんと同意見です。以前、海外で暮らしていた時、さまざまな国から来た旅行者と出会いました。彼らは皆母語以外で、英語はもちろん、3ヶ国語、4ヶ国語を話せる人もざらにいました。Swedenから来た、ある女性と友達になり、毎日よく話しました。私は彼女に、「Swedenでは英語教育はどうやってるの?」と聞いてみました。彼女の答えはいわゆる、Total Immersionでした。日本と同じように、中学から英語を習うそうですが、英語の時間になると、生徒たちは「英語のクラス」に移動して、そのクラスに入った瞬間から出るまで、すべて英語だけで授業が行われたそうです。当然、教師は英語のNativeもしくは、流暢になんの苦もなく話せる人です。

    彼女は、英語の授業は苦手で、自分はそんなに英語は上手ではないと言っていましたが、コミュニケーションを取るのには十分すぎるくらいでした。

    その時私は、「なぜ日本の学校はそのような授業を行わないのだろうか?」と疑問に思いました。

    世界に通用する英語、nativeと普通に話せる英語を教えないのは日本だけではないでしょうか?

    • 「世界に通用する英語、nativeと普通に話せる英語を教えないのは日本だけではないでしょうか?」この意見が通じないのが、現在の日本の教育制度の問題です。

      なんでこうなってしまったのだろうな、また「どうすればこの変な英語教育を改められるのか」という事をもっと教育現場や行政に訴えなければならないと今回の記事を書いていて強く思いました。

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