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「英語ができない教師が英語を教えている」の件で後日TwitterでもらったReplyのまとめ

先日の記事、「英語ができない教師が英語を教えている」の件で、後日Twitter上でこの件に関連していくつかのReplyを交わしました。以下に興味深かった発言をまとめました。

教員が授業に割ける時間や専門性を磨く時間が少ない。特に部活動で時間を取られている。

  • 高校の事しかわかりませんが、個人的に問題だと思っていることは、授業改善への意識の低さ、または機会のなさです。授業改善を考えたときに自己研鑽は欠かせないわけですが、そのための研修(資格試験含む)に参加しないorできない現状の改革は急務だと思いますね。そして以前もつぶやいたことがあるのですが、すごく単純な話、部活動を民間(地域)委託したらいいと思うんです。高校教員の意識をまず授業にむけるという意味でも。毎日放課後3~4時間、土日なしという部活も結構あります。これをほぼ無償でやっている現状はキツイですよ。
  • 極論ですが、僕は日本の国力の減退は、これにあると思っています。先生も生徒も勉強する時間がなさすぎです。>部活動を毎日放課後3~4時間、土日なしという部活も結構あります。これをほぼ無償でやっている現状はキツイですよ。
  • 香港でスゴイ実績を出している塾に秘訣を聴いたら、「部活がないから」と言われた。>極論ですが、僕は日本の国力の減退は、これにあると思っています。先生も生徒も勉強する時間がなさすぎです。

部活動がここまで負担になっているとは知らなかったです。教員の方達が授業に集中出来る組織作りが必要です。

部活動を地域の人達に任せてしまうというのはどうか

  • なるほど。(教員の負担を減らすために)欧米では、部活動ではなく地域のクラブスポーツが盛んなんですね。長年の疑問が解決されました。そこは行政と地域の協力が必要ですね。むしろスポーツは学校で行う必要なく、市民を巻き込んで地域中心にしたほうが良いのかもしれない。
  • (地域のクラブに任せるのは)必ずしも得意な部活の顧問になれるとは限らないらしいので、不慣れな先生が指導をして生徒が怪我をするよりかはいいかもですよね。
  • 地域のクラブ活動してる地域ありますよね。少年野球やサッカーや女子ソフトなどなど。小学生の時に参加していましたが、親同士も繋がりが深くなるし子供心に知ってる大人が増えるのは心強かったです。
  • ああこれはナイス!学校の責任で部活を外部委託すると問題が起こった時に学校に問題が返ってしまのを解消できるし、学生が地域と触れ合う事になるのはいいですね。
  • そういう動きは少しづつ出てきています。地域コーチや、外部コーチといった形で。
  • 部分的には進んでますよ。私の妹は中学で卓球部の指導してました

ある先生の学力向上への取り組み

  • 学校内における 学力向上委員会・教科検討会・研究授業、そして私の県では「難関大学プロジェクト」といって、拠点校同士が連携して取り組むプロジェクトがあります。授業内容については、生徒アンケートを毎年2回行い、評価をしてもらいます。他にも非常に面倒でやっかいですが、ベネッセ協賛のもと、県内記述・マーク模試を作成します。メンバーになると本当にやっかいですが、良い問題を作れることは、それだけ教科力があることなので、勉強になります。はぁ…気が重い。。。

教員からの情報発信が足りない(これは私がTweetしたものです)

  • はっきり言って、現場でどのような事がされているのか企業には伝わっていません。ですから「学校で学んだことが役に立たない。最も大切な事はコミュニケーション能力だ」などと言われるのです。どれだけ学校で有意義な事を教えているのか、生徒が何を学んだかを情報発信してください。私から現場の方にお願いしたいのはもっと現場で何をやっているのかということを積極的に発言してほしいということです。
  • 現場の努力は分かるのですが、現状では「学校で学んだことは役に立たない」といま多くの日本企業が公言して、日本人の代わりに留学生達を雇用するとまで言っているのです。私としては企業にそのような事を言わせない教育制度を創ってほしいのです。そのための議論を開始するためにもまず現場を知る必要があります。ですから現役高校教師の方々のTweetを期待しています。なにより「現場」が最も事情を把握しているのですから。

自分からは何も説明しないのに、世間は分かってくれる訳はありません。いくら自分達が「正しいこと」や「立派なこと」をしていると主張しても、その事実が周りに知られていなければ低い評価をされて、悪い場合には「それは単なる自己満足だろう」と言われても仕方がありません。黙って努力していればいつか誰かが評価してくれるなんて甘すぎる考えです。現状のようにあまりに情報発信が少ない状況を変えるには「学校に広報担当を置く」くらいの抜本的な対策が必要なのではと考えました。

教師は世間知らず?

私はTwitter上で教育に携わる人達とReplyを交わしていて、何人かの教師は社会性がほとんど全くないなと頭を抱えたくなりました。聞き手のことを想像出来ずに一方的に、しかも傲慢に話す人達が果たして生徒のことを思いやって教育を出来るのでしょうか。生徒からの評価や外部からの評価がないまま「先生」をしている人達の講義はさぞかし酷いものだろうなとゲンナリしました。

  • 先生が世間知らずなのは、学校に顔を出さない父親のせい。

このReplyをもらって、実際に企業活動の最前線にいる父親達が母親任せにせずに学校にもっと意見や要望をいうようになれば、また学校活動に協力するようになれば、現場も良くなると思いました。そのためにも長時間労働から父親達を解放する必要があります。

そもそも学校で学ぶ内容が問題

  • ちょっと待ってください。日本の中高生は十分に勉強しています。それは事実です。HALさんがいたアメリカよりも遥かにレベルは高いはずです。これはアメリカにいた人なら誰もが認めることだと思います。問題は大学に入ってからの勉強と中高生での勉強すべき事柄の選択です。

これもその通りだと思いました。どのような人材を育てたいのか明確な指針・基準を示して、教える内容を定めないと何にもならないです。現在は「教科書があるから、そこに書かれている事を教えている」となっていると思いますが、「そもそもなぜ教科書にこの内容を盛り込む必要があるのか、私たちは一体どのような人材を育てたいのか」という視点が必要です。

以上です。本件について引き続き意見を募集していますので、何か思うところがある方は私のTwitter Account、@HAL_JまでReplyをください。

英語が出来ない教師が英語を教えている。

文部科学省が公表している上記の資料を読んで、日本の英語教育の問題に気付きました。特に「3 教員の英語力について(新項目)」について熟読してください。

調査に協力した英語教員17,627人のうち、英検準1級以上、またはTOEFL(トーフル)のPBT550点以上、CBT213点以上、TOEIC(トーイック)730点以上のスコアを取得している者は、8,539人(48.4パーセント)。

なお、外部試験の受験経験のある者のうちでは、74.2パーセントが英検準1級以上(TOEFL(トーフル)等を含む)を取得している。

この資料は高校の英語教員でTOEIC730点、TOEFL550点、英検準一級の取得者は半分未満という結果を明らかにしています。はっきり言って、この程度の英語力ではロクに使い物になりません。そんな低い水準でも、高校の英語教師では達成者は半分未満。この事実に本当に愕然としました。

特に日系企業がこれだけ口喧しくTOEIC, TOEICと昨今言っているのに、教える側の半数ががそもそも730点にすら到達していないという事実に驚きました。私としては英語教師を名乗るからには最低でもTOEIC 860点は取得してほしいと考えています。そして860点は別に普通の人でも努力すれば取れる点数です。最低限この点数に到達できるだけの専門知識があって、はじめて高等学校にふさわしい英語を教えることが出来ると思います。専門知識である英語能力が不足しているようでは、生徒への指導力云々を語ってもまるで説得力がありません。「TOEIC730点も取れない英語が出来ない先生」が英語を教えているという事実が空恐ろしいです。国語教師で例えると、常用漢字も満足に身につけていない教師が教えているようなものです。

ということをTwitter上に書いた際にいくつかの反論が来ましたので、その反論と私の再反論を合わせて紹介します。

反論1 受験経験者は74.2%が持ってます。半数以下というのは受験経験がない者も母数に含めているからです。

再反論 そもそも受験していない教師がいる事が問題なのです。日系企業がこれだけTOEIC、TOEICと口喧しく言っているのになぜ受験していないのでしょうか。教師は学校の外の社会に関心がないのでしょうか。

反論2 教師になろうという人が企業が必要というからTOEICを受験しようというのは論がつながらないと思います。もっとシンプルに言えば,企業に行く人は受けるかもしれないけど,企業を考えずにいる人は要求されてない以上受けない(受験料もあるし)というのは極めて自然な選択では?ということです。学校教員の試験に含まれてないから受けてないだけ,ということです。

再反論 教師は社会で求められている英語力、企業が社員に求めている英語力を生徒に身につけさせる必要はないと考えているのでしょうか。また、そういう教師は学校の外の社会には関心がないのでしょうか。

反論3 現職の教員だと時間を確保するのは難しいというのがあるのでは?話を聞く限り小中高の教員も多忙です。例えば部活動にからむと休日が一日もなくなるとか。

再反論 TOEIC試験のために、日曜日の半日を使う事が出来ないとは考えられません。もし日曜日の半日すら時間を開けることが出来ないというのであれば、それは教師の過重労働という由々しき問題です。

一連のやりとりをしていて、社会のことを、生徒の未来のことを考えずに自分たちが所属する学校制度の事しか考えない教師に教壇に立ってほしくないと強く思いました。私ならそんな人の授業は聞きたくないです。そしてまた、そういう教師を生み出す日本の教育現場とはいったい何なのだろうかと考えさせられました。

先生たちは学校の中で一生を終えられるかもしれませんが、生徒は学校を卒業した後に社会で競争をしなければなりません。それなのに学校の中に引き篭り、また社会の事に関心のない人達が、学校の外の社会を生きなければならない生徒達を教える事が出来るのでしょうか。この現状に気付いて本当に怒りを感じました。

ただ、文句を言っているだけでは現状は何も変わらないので、以下にじゃあどうすれば良いのかという改革案を記します。問題の根源は英語が出来ない英語教師ではなく、そのような教師を生み出す制度の方にあると私は考えています。

改革案1 教員採用過程の透明化

Twitter上で多数のReplyをもらったのが、教員の縁故採用、またそれに伴う汚職についてです。どうやら教員の採用過程においては、教員自身の能力よりはコネの方がはるかに大事なようです。そして、これは地方にいけばいくほど酷いみたいです(これらについてTwitter上で教えてもらった内容は聞いていてあまりの腐敗ぶりに気分が悪くなりました)。教員の質を確保するためには、客観的な採用基準を内外に明確に示して、何をもってその人を採用したのかを明らかにする必要があります。

改革案2 英語力に乏しい教師への対応

現在すでに英語教師となっているにも関わらず、英語力が十分でない教師には研修を受けさせて英語力を向上させるか、その他の職へ配置換えをする。最終的には、教員の免許を更新制にして、5年、もしくは10年毎に教師が必要な能力を身につけているかどうか確認するようにする。

改革案3 教員の給料の向上

優秀な人材を引きつけるために、教員の給料を挙げる。また、教員採用において汚職が蔓延る原因の一つには教員の給料の低さがあると思います。

改革案4 教員の事務作業軽減

小学校〜大学の事務員を増やす。教員が事務をしなければならないという現状はおかしい。教員が教育に専念、また自身の専門性を高められる体制を作る。

改正案5 民間企業経験者を教員に採用する

「実際にどのような英語が社会で求められているのか」そういったことを把握している民間企業経験者を教育現場に採用する。そうすることで、教える内容が時代遅れや時代錯誤なものにならないようにする。

私が考えた改革案とTwitter上でいただいたReplyをまとめたものは以上になります。他にも良い案があるという人がいらしたら、Commentをお願いします。

ただ、これらの改革はとても時間がかかると思います。私自身がすぐに出来ることはといえば現在書籍化の話が来ている「実用的な英語を習得する方法」の学習ノウハウを世の中に広めて、1人でも多くの人がまともな英語を使えるようにすることくらいかなと思いました。問題をすぐに解決出来ないことがとても歯がゆいです。

6月18日追記

Twitterでこの記事について議論をしていて、どうも話が噛み合わないなと感じたのは、「英語教育の目的をどこに置くか(置かざるをえないか)」という点がそれぞれの関係者で全く異なっていたためだということが分かりました。

私の立ち位置は一番最後です。私や一部の企業は「日本国内のみで通用する受験英語教育」ではなく、他国との競争を視野に入れた英語教育を望んでいます。そして、現状の教育制度では、TOEFL上位5カ国とはまともに伍する事が出来るとは思えません。日本国内のみでしか通用しない英語教育では「ガラパゴス」です。こんなガラパゴス英語では日本国内から出た場合、役に立ちません。

高校の英語教師がTOEIC、TOEFL、CBT、英検を軽視しているのは「受験英語」が最も大切で、これらについて教えることは求められていないからです。現状の制度がこうなっているから、親や生徒からしたら受験英語の力が身につく事が最も大切な事であるため、必然的にそうなるのでしょう。でも、これはもう止めませんか。大学受験時にしか使えない英語を学ぶのは日本と日本人の資源を無駄遣いしています。中学・高校で6年間も勉強して「読解」能力しか身につかない、「聞く」「話す」「書く」能力が身につかない英語教育はおかしいです。

学校教育の考え方を大きく変えるためには、現状の制度・仕組みを変えなければいけません。私が挙げたいのは「現状の大学受験英語の廃止(特に何のためにやっているのか分からない、難関大学の生徒を落とすためだけの試験問題)」です。日本人同士でしか競わない現状の大学試験入試よりは、他国の人々と競い合うことになるTOEFL、TOEIC、CBTの方がまだましに思えます。

そして私がここで書いたようなことは出来れば、門外漢の私ではなく、日本の英語教育と日々まさに向き合っている英語教師の方々からこのような意見がもっと出てほしいです。「現場を、教師の世界を知らない人間が何を言っているのか」というReplyが来ましたが、分かる訳がありません。なぜなら現場から十分な情報発信がされていないからです。この点については現職の方々はどのように考えておられるのでしょうか。目先の問題を解決する事だけに終始して、私がここで書いたような問題については興味や関心がないのでしょうか。それとも何か取り組みをされているのでしょうか。具体的に何か取り組みがあるということでしたらこの記事へのCommentをお願いします。教育の現場を見ていない私たちにも分かるように情報発信をお願いします。現在の学校英語教育に対してとても強い不満を持っている人達に対して「現場を知らない人間が口を出すな」と言うだけでは、問題から目を背けていると批難されても仕方がないと思います。

6月21日追記

この記事に書かれている内容、楽天の三木谷社長の危機感がまさに私が感じている危機感です。この危機感が一部の人達に全く伝わらない現状がとても残念です。

「大学で勉強していない人は就職が難しくなると思いますよ。中国人や韓国人は最低2か国語を話せて、専門知識の勉強もしています。これまでのような会社に就職してから教えてもらうという考えでは、外国人と同じ土俵に立てません」

現状の学校制度は古いままなのに、いきなり「ルールは変わりました。これからは専門能力と語学力が必要です」というのも学生にとっては酷な話。例えばこれまで記事を書いていますが、現在のような日本の学校教育を受けているだけでは決して十分な語学力は身につくことはありません。それでも企業は学生に語学力を求めるようになってきました。

6月24日追記

学校での英語教育を廃止せよ

この記事と同様の主旨、そしてさらに過激な解決方法を提言している記事を見つけたので参考にしてください。

お願い

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【連絡】Twitterを活用して英語学習を熱心にしている人達を募集しています。

TOEIC860点を取得、かつ日本の英語教育で欠けている「話す」「書く」ための英語学習方法を紹介している実用的な英語を習得する方法、書籍名「20歳を過ぎてから英語を学ぼうと決めた人たちへ」がこの度、Discover21より書籍化されることになりました。書籍の中でTwitterを活用して英語学習を熱心にしている人達をList、twitter-eslを通じて紹介したいと考えています。

このtwitter-eslに登録される事を希望している方を募集しています。これはTwitter上にいる他の英語学習者とも知り合うことが出来る良い機になると思います。この機会を是非活かしてください。以下、募集要項です。

必要条件(Listに登録を希望される方はこの条件の1つは必ず満たしてください)

  • 英語学習の内容を定期的にTweetしている人。
  • 英作文を投稿している人。
  • 英語勉強している人。

→該当者は私が作成したTwitterのList、twitter-eslに登録して紹介します。また、すでに何人か英語学習者をListに登録しているので、もし学習仲間を探している人がいましたらtwitter-eslに登録されている人をFollowしてみてください。

連絡先

  • Twitter @HAL_J にReplyをください。
  • Mail treasure.in.treasure.out(at)gmail.com

Listに登録される事を希望される方は常時募集しています。ご連絡お待ちしております。


私が英語学習を通じて学んだ論理的な文章の書き方

上記の記事を酒井英禎さんのblog、Rails で行こう!にTrackbackした際に「文章がしっかりとしている」と褒められました。ですから、せっかくですのでこの記事では「私が英語学習を通じて学んだ論理的な文章の書き方」を紹介します。本文に入る前に褒められたTweetへのLinkを紹介します。

トラックバックを頂いた記事が秀逸なのでご紹介。アメリカで勉強されている方のようです。英語学習の重要性を日本語で説いていますが、文章の構成がすばらしい。これは英語の作文の訓練を受けたおかげだと思います。ご拝読あれ。TwitterへのLink

英語圏の文化として、文章を構造化(主張+証拠+結論)することへの強い意志がある。学生たちは文章を書かされる機会が多く、繰り返し当たり前のように訓練を受ける。こういう訓練を受けた日本人の文章は非常に引き締まったものになる。 TwitterへのLink

酒井さんから指摘があったように、私は文章の書き方は英語で学びました。ですので「文章を構造化(主張+証拠+結論)すること」はいつも意識しています。私は大学受験時代に英文読解を効率的に行う「パラグラフリーディング 段落読み」という手法を通じて、この「文章を構造化(主張+証拠+結論)すること」を学びました。以下、「段落読み」について簡単に説明します。

英語の論文では1段落に必ず1つの主張(主題)があります。2つは決してありません。これは文章を書く際に最も大切な決まりです。そして段落の構成は必ず下記のようになっています。

  1. 結論
  2. 結論を補足する文章
  3. もう一度結論を繰り返す

まともな英語の文章は必ず上記の型を守っています。そして英語論文は全てこの型に沿って書かれています。

だから極端な事を言えば、全ての段落の最初の一文だけ読めば、文章全体で何を言いたいか把握することが出来ます。この最初の一文だけを読む読解方法をスキミング(skimming)と言います。このSkimmingという手法を使えば、手早く要点だけをすくい取る(skim)ことが出来ます。Skimmingは速読に使える便利な読み方です。私はTOEIC試験でとても重宝しました。Skimmingのおかげで私は早い段階からTOEIC R partで400点越えを出し続けました。

私自身10代後半から20代後半になる現在までの10年以上も、この英語の型を意識して英文を読み続けました。だから私も自然とこの型、「1.結論」「2.結論を補足する文章」「3.もう一度結論を繰り返す」に沿って文章を書くようになりました。基本的にはこの書き方を守っているので(blogだとちょっと崩しています)、私の文章は読みやすい部類に入るのだと思います。逆に、この型を守っていない文章は読みづらくて仕方がありません。

振り返ると、この型について日本の学校では一度も習いませんでした。こういう論理的な文章を書く型こそ「国語」「現国」の時間に教えるべきだと思います。この型を知らずに論理的な文章を書いたり、建設的な議論が出来るとは到底思えません。

もう一つ英語から学んだ文章の書き方を紹介します。それは「文章をなるべく短く書くこと」です。特にS(主語)とV(動詞・述語)は1つの文章に1つずつにしましょう。ときどき接続詞を多用してどれが主語か述語か分からなくなるような文章に出会います。これらは最悪の文章です。読みづらい日本語の文章、英語の文章はたいていS(主語)とV(動詞・述語)が複雑に絡み合っています。

また、日本語は単語同士が助詞で「くっついている」ので、英語よりもより構成が分かりにくいです。言い換えると、日本語のほうが英語よりも非論理的になりやすいということです。ここで一つ具体的な例を一つ説明します。英語の第2文型「SVC、主語・動詞・補語」の構成はとても分かりやすいです。私には美しいとさえ思います。「主語 = 補語」「動詞が ”=” の役割を果たしている」という構成なので日本語文章よりもはるかに分かりやすく、論理的に思えます。

  • 第2文型の例) I am a blogger → I = a blogger,  amが ” = “の役割を果たしています。

私は英語を学んだことで日本語の文章力を高めることが出来ました。これは英語という日本語とは別の言語を学んだことで、日本語を客観的に見ることが出来るようになったためです。外国語学習は母語の水準も引き上げます。私と同じように英語を学習している人は、是非今夜紹介した点についても意識して英語学習に取り組んでください。

最後に私が「段落読み」を学んだ参考書を紹介します。本書の前半で紹介されている「段落読みの手法」について熟読してください。この本は英語の設問部分はとても難しいので、読めない人は和訳と解説文だけ読んで「段落読み」の手法について学んで下さい。

「段落読み」についてはたぶん他にも参考書はあると思います。しかし、私は昔のこの本しか知らないです。もし良い参考書を知っている方がいらっしゃったら教えてください。

【小道具】高遮音性イヤホン【SHURE SE115】

英語のListeningやAudiobookを聞く際に役立つ小道具、SHURE 高遮音性イヤホン・ブラック SE115-K-Jについて紹介します。これを使えば電車の中でも問題なくListeningが出来ます。

今回はじめて耳栓型、Canal型のイヤホンearphoneを購入しました。値段は8,000円弱とそれほど高くなかったので思いきって購入しました。音にこだわっている人からしたら全然大したことない金額でしょうけど、私は高いearphoneを買ったことないのでちょっとドキドキしました。これまではずっとNoise Canceling機能が付いたWalkmanばかり使っていたので、耳栓型Canal型は未経験でした。

遮音性は耳栓型の方が良いです。SE115は耳栓を使っている時と同じような感触です。これなら電車の中でも使えるというのは肯けました。難点は付けっぱなしにすると耳の穴がちょっと痛くなることです。

一方、WalkmanのNoise Cancelingの方が耳の穴には優しいです。音楽を聞きながら昼寝するのなら断然Walkmanの方が良いと思います。しかし、Walkmanの難点はSONYの独自規格に伴ない色々な制約が付くことです。まずWalkmanはiTunesに対応していない、Podcastも独自のSoftwareで管理しないといけないとiPhone/iPod使用者にはやっかいです。今回Canal型に手を出したのも、iTunesとSonic Stageで別々に管理をするのに嫌気がさしたというのもあります。また、米国Audiobookの大手、Audibleに対応しているかどうか不明確な点も自分をしてWalkmanを使い続けるかどうか再考させました。WalkmanはNoise Cancelingの機能だけを考えると本当に素晴らしいです。高価なearphoneを購入することなく、雑音がひどい環境でもそれなりの音を聴くことができます。だからこの独自規格に伴なう制約は本当にもったいないと思っています。

現在私はiPod touchを主に使っています。SE115との相性は良いです。この分だとSE115のおかげで3年くらい付き合ってきたWalkman Seriesとはさよならしそうです。ただ、Audibleの音声fileをmp3に簡単に変換できるということであれば、Noise Canceling機能が付いたWalkmanをまだ使い続けるかもしれません。でもこの点で駄目だったら、iPodに完全に切り替えます。

あとがき 一連の英語学習法の記事を書き終えて

この記事は英語学習記事をこの1ヶ月書き続けた最後の締めの「あとがき」です。

もともと私が一連の「英語学習法」に関するblog記事を書いたのは、私の友人達や近しい人達のためです。1年前の自分は受験英語とTOEICの試験英語しか知りませんでした。ですからどうやれば日本の英語教育で欠けている「話す」「書く」「聞く」について身に付けられるのかまるで分かっていませんでした。blogやTwitterには書いていませんが、本当にたくさん失敗したし、無駄な努力もしていたと思います。自分には模範となる人がいなかったので、ほとんど全て手探りでせざるを得なかったのです。

自分の知っている人には同様の苦労・失敗をしてほしくないという思いから今回blogを作成しました。そういう思いから作ったblogですから、私のblogを読めば、日本の英語教育で欠けている「話す」「書く」「聞く」について体系的に学ぶ方法を知る事が出来ます。そしてまたblog内容を踏まえて学習をすれば、私が費やしたよりもずっと「お金」も「時間」も圧倒的に節約して学習することが出来ます。私はblogを作成したことで「英語学習の高速道路を敷けた」と思っています。

そして、この記事を書いている時点で私のTwitter AccountにはFollowerさん達が約1,000人います。出来ればこの方々達に、そして私のblogに訪れる人に1人でも多くの人に私が紹介している「英語学習法」を知ってもらいたいです。

blogの記録やもらったReplyを見ると、この1ヶ月で私の記事に関連した英語学習書籍・ビジネス書はおよそ150冊は売れたと思います。私のblogやTweetが少しでもお役に立ったということであれば嬉しいです。これら書籍を手に取ってくれた人達の誰かが、1~2年後くらいにTOEIC A levelに到達して、かつ実際に不自由なく英語を「話したり」「書いたり」して、英語を使いこなしてくれたらなと思っています。

私の英語学習方法は現時点では最新の学習方法の一つですが、3年もしたら陳腐化して改訂が必要になると思います。そしてその時には私のblogを読んだ誰かが、その時の最新の英語学習法を書いて発表してくれたらと今から密かに願っています。これから補足記事は書くかもしれませんが、基本的にはこれで私の英語学習法についての記事は終わりです。TwitterやblogでReplyやComment、そしてふぁぼってくれた方ありがとうございました。

次は私が米国が経験したことや学んだこと、日本人が知らない米国の価値観を紹介する記事を書いていきます。

【補足】Twitterの使い方は千差万別、十人十色

Twitter上で先程の記事に関連した面白いTweetを見つけたので紹介します。

【引用】Followが多い人と少ない人、公式RTと非公式RTを使う人でTwitter上では色々な対立があるが、中でも最大の対立は「その人の発言を読みたいからFollowする人達」と「交流したいからFollowする人達」の間の溝だと思う。そして自分は「交流したいからFollowする人達」の一人なのでRemoveされた場合は、しょんぼりしながらこちらからもRemoveする。この考え方は「その人の発言を読みたいからFollowする人達」からは理解されないのでどう考えても溝だと思う。

この発言は以下のURLから引用しました。

Twitterはこう使わなければいけないという使い方はありません。ですから各人自由に使って良いと思います。しかしながら、それぞれの人達が「Twitterはこう使うべき」という考えを多少なりとも持っています。そのため前の記事で私が紹介したようなTwitterの使い方(blog記事の下書きをTwitterに投稿するとこんな良いことがある)を毛嫌いする人もいると思います。

私は今回引用した方と同じような考えでTwitterを使っています。私が自分からFollowするのは「その人と交流をしたいから」です。一方、たとえFollow Backをされなくても、その人の発言を読みたいと思える人はList機能を使って読んでいます。

Twitterの使い方は千差万別、十人十色です。あなたが良いと思うように活用して下さい。そして考え方が違うと思える他の人については相手を非難するReplyをすることなく、そっとRemoveしてください。

blog記事の下書きをTwitterに投稿するとこんな良いことがある

この記事では「blog記事の下書きをTwitterに投稿するとこんな良いことがある」ということについて紹介します。この1ヶ月、blog記事の下書きをTwitterに投稿してきた結果、多くのことを学ぶことが出来ました。ここで学んだことを紹介していきます。最初にblog記事の下書きをTwitterに投稿することの利点を一覧で紹介します。

  1. 読者の反応がよく分かる
  2. 文章の質が上がる
  3. blogのAccess数が増える
  4. 執筆意欲が湧く

まず1についてですが、TwitterではReply、RT、そしてFollow/Removeで数多くの反応をもらえるため、どういった文章を書くべきか常に考えさせられます。一方、blogの場合はAccess数とComment、EmailだけなのでTwitterに比べると読者の反応が分かりにくいです。大手のblogでも、Access数は多いけどCommentもEmailももらえなくて「自分は誰に対してこの記事を書いているのだろうか。壁に向かって一方的に話しているようで全く面白くない」とやる気を無くして辞めてしまった例を私は知っています。そしてここで最も伝えたいのは「Twitterの方がblogよりも圧倒的に多くの感想をもらえる。」ということです。これはTwitterでReplyをする方が、blogにCommentを書くよりも圧倒的に精神的敷居が低いためだと思います。現に私のblogにはまだあまりCommentは貰っていませんが、Twitter上では本当にたくさんの感想をReplyでもらっています。

次に2についてですが、1で読者から多くの反応をもらい、その反応を踏まえてTwitterに書いた下書き文章をさらに推敲すると、文章の内容・質は当然飛躍的に上がります。またTwitter上で文章を書くと1文1文に対して読者からの反応があるため、書く文章に対してとても敏感になり、誤解されるような文章を書かなくなります。

そして3についてですが、「Twitterでblogの下書きをTweetしてからblog記事を発表する場合」と「blogに黙々と記事を投稿し続ける」のでは、blogへの訪問者も数が前者の方が圧倒的に多いです。これは「blogはわざわざそこまで行かなければ記事が読めない」のに対して、Twitterでは自動的にTime Lineにblogの内容が表示されるので、blogで記事を発表する場合に比べてより関心を持ってもらえるためです。Twitterはいわゆる映画の予告編みたいなもので、そこで記事の内容に関心を持ってくれた人達がblogに訪問してくれます。

最後に4についてです、読者からの反応が多くなるので当然執筆意欲が湧きます。Twitterが無かったら、私はあれだけ(1ヶ月で約70本)のblog記事を書くことはなかったと思います。たくさんの読者からの反応があったからこそ、私はこれだけ大量の文章を短期間で書き上げることが出来ました。

最近気付いたのですが、グロービスの堀義人さんもTwitterを私と同じように、Twitterで下書きをしてそれをblogにまとめるという使い方をしていることを知りました。

ここからは注意点についてです。以下、注意することの一覧です。

  1. Twitterに対する考え方が違う人からはRemoveされる。
  2. Followerは自分から増やす必要がある。
  3. ときどき「望ましくないReply」をもらう。

1についてですが、私のように「短時間で」「大量」のTweetをすると、それを嫌がる人からはRemoveされます。特にFollowingが少ない人だと私のTweetでTime Lineが埋め尽くされてしまうからでしょう。気持ちは分かります。こういう場合についてはTwitterに対する各人の環境や考え方が違うから仕方がないと割りきって下さい。

2について、当然Followerが多くないとあまりReplyは貰えません。ですから自分の内容に関心を持ってくれそうな人を自分からFollowしていきましょう。私は次のWebsiteで特定の言葉で検索して、自分と関連してそうな人達を積極的に自分からFollowしています。

最後に3についてです。Followerの数が増えるに従って「あまり望ましくないReply」をあなたはもらうことになると思います。私も時々もらいます。今はもう気にならなくなりましたが、そういうのに慣れていない人はそういうものがあると知っておいて下さい。

より多くの人に自分が書いた文章を読んでもらい、たくさんのReplyをもらうと本当に面白いし、学ぶことが多いです。ですからblogを持っている人にはいまTweetした「blog記事の下書きをTwitterに投稿するとこんな良いことがある」ということを是非知ってもらいたいです。一例を挙げると、もらったReplyを読んでいるだけでもかなり勉強になります。「もらって嬉しいReply」や「あまり嬉しくないReply」、これらをたくさん読んでいるだけで「どういう文章が人に好まれるのか」ということを学習できます。文章力を向上させたい人にとってはこれらはとても良い経験になると思います。

以上で「blog記事の下書きをTwitterに投稿するとこんな良いことがある」について終わります。

「TOEIC試験は誰のための試験?」、TOEIC試験の世界における位置づけ

この記事ではTOEIC試験の世界における位置づけを紹介します。最初にこの一年間に私がTOEIC試験について感じた「違和感」を順番に紹介していきます。

  1. 英文履歴書にTOEICの点数を書いても理解されない。
  2. 米国人はTOEIC試験について全く知らない。
  3. New YorkでTOEIC試験を受験しに行ったら日本人と韓国人ばかりだった。

(1)  は日本国内で留学準備をしている際に、Intern先に提出する英文履歴書Resumeを書いている時に気付きました。書いたResumeを米国人の教師に確認してもらった際に、TOEICの点数だけ書いても米国人は分からないから具体的に自分の英語力を補足した方が良いと言われました。私はそれまで「TOEIC試験は日本における日本語能力試験のように英語圏でも認知されている」と思っていました。しかし、全くそういう事はありませんでした。考えてみればすぐ分かると思いますが、TOEIC試験は「話す」「書く」の要素が含まれていないため、英語圏で働くためにはTOEIC試験では程度が低すぎて話しにならないのです。TOEIC860点以上の人でも満足に話せない人はけっこういるのではないでしょうか。

(2)  について述べると、New Yorkで出会った米国人はTOEICについて本当に誰も知らなかったです。日本の英語教育について知っているごく限られた人だけがTOEICについて知っていました。時々知っていると言う人に出会いましたが「あれだろ”TOEFL”!」というような回答をもらいました。

そして一番強烈な体験だったのが(3)の経験です。New YorkのManhattan試験会場でTOEIC試験を訪れたら「会場は日本人と韓国人ばかりだった!」ということです。補足すると中国や台湾といったAsia系も他にも少しいて、1~2人くらいの白人もいました。でも大多数は日本人と韓国人でした。そこでは私がNew Yorkで普段全く交流の無かった日本人達をたくさん見かけることが出来ました。

ここで2005年のTOEIC試験についての公式資料を紹介します。

公式資料でTOEICの受験者割合を調べると「日本人 65%、韓国人 12%」です。77%の受験者が日韓で占められているということが分かりました。要はTOEIC試験というのはこの2カ国のための試験であると言って良いと思います。そして、私は自分の体験と公式資料を読んで「TOEIC試験は誰のための試験なのだろうか」と考えるようになりました。

さてここからはTOEIC試験を勉強しているへの私からの提言になります。TOEIC試験は初心者から上級者までの英語力を測る物差として有効な試験だと思います。一方で、日本と韓国以外の国ではTOEIC試験はほとんど全く知られていません。またすでに他の記事で言及しましたが「話す」「書く」、そして「英語圏の知識」については学ぶことが出来ないという欠点があります。こういった特徴のあるTOEIC試験なので、「TOEIC試験で860点を越えた人はそこでTOEIC試験のための勉強を止めた方が良い」「TOEIC試験の勉強の代りにもっと実用的な英語学習をした方が良い」と私は考えています。私はあと2~3ヶ月TOEIC試験の勉強を真剣にすれば、おそらく990点満点を取得できると思います。でも、私はTOEIC試験で満点を取ることについて全く魅力を感じていませんので勉強する気はありません。

ここで米国での事情を説明すると、米国で他国の学生達が熱心に勉強していたのはTOEFL試験です。欧州の学生達や日韓以外のAsiaの学生達はTOEFL試験を熱心に学んでいました。彼らの熱意に比例して、参考書も本屋にたくさんありました。一方、TOEICの参考書は2冊しかありませんでした。この記事最後にNYCのManhattanにある米国の大型書店、Boardersで撮影した本棚の写真を載せておきます。

こういう状況を知ってしまうと、日本人はいったい何処に向かっているのだろうかとTOEIC試験の盛況ぶりを見て複雑な気持ちになります。TOEIC試験なんて日本と韓国でしか評価されない、だからTOEIC試験だけ頑張り続ける日本人は頑張る方向を間違っているのではないかと思います。他国の学生はTOEFLを頑張っています。そしてTOEFLの場合はTOEICと違ってResume英文履歴書に書いてもちゃんと評価されます。

あなたは何のためにTOEIC試験勉強をしているのでしょうか。試験で良い成績を取りたいというだけなら止めた方が良いと思います。TOEICで高得点、900点、950点、990点を取っても日本人と韓国人しか褒めてくれません。英語の先生で「990点取得」と自分を宣伝する箔をつけるためというのなら理解できますが、英語の先生でもない一般の人が満点なんて取っても仕方がないと思います。「TOEIC試験でA levelに到達、860点を越えた人はもうTOEIC試験のための勉強をやめて、もっと実用的な英語学習をする。そして英語を道具として使って行動を起こした方が良い」というのが私の提言です。

TOEIC試験の詳細に興味のある方は以下Link先を参考にしてください。特に「歴史」の欄を読めばこの試験が日韓でしか通用しない訳も納得出来ると思います。

TOEIC試験では学べないこと、言葉だけ分かっても相手を理解することはできない。

この記事ではTOEIC試験では学べないこと、「言葉だけ分かっても相手を理解することはできない」について紹介します。

TOEICでA level入り、その結果ある程度の英語なら理解出来るようになったとあなたは思うでしょう。しかし、一度海外に行くと分からない英語だらけでびっくりすると思います。これは英語力の問題というよりは、その国についての知識や文化が分からない事から来る問題です。

例えば、私はTaylor SwiftのLove Storyという歌を去年聞いていましたが、歌詞にある”scarlet letter” 緋文字(ひもじ)という言葉の意味がどうしても分かりませんでした。”scarlet letter”の言葉の意味は分かるのですが、それがなぜ歌詞の中で使われるのかということが理解できませんでした。米国人の友人に尋ねたところ、この”scarlet letter”はLove Storyに関連した米国文学に由来しており、だからあえてここで使っているということでした。要はその歌だけを聞いていても決して理解できない、他の文化的な教養も備えていないと理解できない表現だったのです。

他の例も挙げると、私は映画、AVATAR(英語音声・字幕無し)を観た際には登場人物達の英語は7~8割は理解できました。割と知っている英単語がそこで使われていたということもあります。しかし、それ以上に私はSci-Fiが好きなのでこの分野に関してたくさんの知識も持っていたから理解できたのだと思っています。一方BroadwayでThe Phantom of the Opera(オペラ座の怪人)を観た際には半分も英語が分からなかったです。これは英語表現が凝ったものであったためなのと、私にとっては馴染みのない演劇の世界が舞台であったためです。

当たり前といえば当たり前ですが、知識が無ければ物事は理解できません。英語だけ分かっても英語圏の文化は理解できないのです。そしてTOEIC試験は英語力を測る物差としては有効ですが、この英語圏についての知識と教養の理解度を測る試験ではありません。英語力だけあっても知識がなければちゃんと意思疎通はできません。言わずもがなかもしれませんが、この点についてはご注意ください。