学校に留学した場合にはなかなか出会えないであろう人達に出会えるのが、Internship留学の一つの魅力です。この記事では私がお世話になったIntern先NPOのボランティアの指導者を3人順番に紹介していきます。いずれも魅力的な人達です。
ボランティア指導者で最初に紹介するのはMickey。彼は以前に「金持ち父さん」としてblog記事で紹介しました。
Mickeyも先の記事で紹介したHakimほど壮絶ではありませんが、米国人の貧民層として生まれ苦労して生きてきました。そして苦労して貧困層から抜け出し、いまはそれなりに裕福な暮らしを送っています。Mickeyと「貧困層の人々が銀行から融資を受けるためには何をすれば良いのか」という案をまとめている時に、Mickeyがどうやってホテルを購入する費用を銀行から調達することが出来たのかを教えてもらいました。
Mickeyは若く貧しい頃から銀行に毎月決まった日に定期的に預金をして、また小切手も定期的に使っていました。これは銀行と友好的な関係を築くためです。定期預金、小切手の支払い期日をMickeyは必ず守ることで徐々に銀行から借り出せる金額を増やしていきます。そして、それに伴い自身が手がける商売の仕入れ額を増やし、売上と利益も増やしていきました。さらには従業員も雇って、ある程度の額が貯まったところで「ホテルを購入する」という勝負に出ました。それが上手くいって、現在は「金持ち父さん」の暮らしを楽しんでいます。
また私はその時に”Credit score”について学びました。これは日本人には馴染みのない言葉だと思います。
“Credit Score”は金融機関とどれだけ友好的な関係を築いているのかというの数値で表します。この数値が良くなければ、米国では金融機関から融資を受けることは出来ません。そして、貧困層はこの数値が絶望的に悪いです。中には全く履歴のない人も多かったです。貧困層はお金がないという理由で、一般の人達に比べて本当に多くの制約がある事をこのCredit Scoreについて調べている時に知りました。その点から考えると、Mickeyは貧しい頃から計画的にCredit Scoreを向上させ続けたので、銀行から高額の融資を受けることが出来たのです。やはり人と同じことをしているだけでは、また頭を使わなければ成功出来ないのだなMickeyをみて思いました。
現在はホテルの管理をする傍ら、ボランティアとして週に何日か事務所に来ています。そんなMickeyが好きなのは「人々をまとめること」です。Mickeyは演説の才能があり、話しがとても分かりやすいです。私もはじめて会った頃から彼の英語は明瞭で聞き取りやすいなと思っていました。「MickeyはGood Speakerだね」と他のIntern達とよく話していました。本当は演説を録音した音源があればMickeyの凄さが分かるのですが、残念ながらないので演説をした際の写真を下記に掲載します。
次に紹介するのはセネガル人の指導者、Diop。彼もすでにblog記事で一度紹介しました。
DiopはNative English Speakerでないにも関わらず、そして20歳を過ぎてから米国に来て英語を学びだしたにも関わらず、裁判所の判事と対等以上にやりあうだけの英語力を身につけました。Diopはとても頭の良い人です。詳細は先程の記事を読んでください。先程の記事に書いていない事を紹介すると、Diopの英語は訛りがひどく、Thursdayが何度聞いても”ターズday”と私には聞こえていました。毎日聞いている内に実はこの”ターズday”という発音が正しいのかな?と思い込むようになってきました。もちろん正しくないです。
アフリカというのは日本からは「地の果て」かと思えるくらいに離れていますが、アメリカからはそれほど離れていないです。そして、そんなセネガル人のDiopから、日本の常識とは色々と異なる面白い話を聞きました。Diopは15歳で最初の結婚をして、16歳に子供が生まれたそうです。18歳からしか結婚できない日本とは大違いです。あと、奥さんも4人いるそうです。日本の常識をここでも根底から否定です。また、New Yorkに来ているセネガル人は暖かい期間の半年間をNew Yorkで働いて、寒い時期は祖国に帰るそうです。米国では貧困層に属す彼らですが、祖国に帰るとそこには「豪邸」が建っていたりします。先進国と途上国の物価差を活かしたうまい人生戦略です。
Internとして「小売」に関する計画を練っている際にDiopには色々と強力してもらいました。DiopはBlack Berryを軽快に使いこなして、セネガル人のCommunityを紹介してくれました。New Yorkにいるセネガル人のまとめ役なので流石という人脈を持っていました。自分で独自に販路を開拓したり、また同胞のセネガル人をまとめたりと大忙しのDiopです。彼も祖国にいる他の人々と違う人生、米国で働くという選択をしたことで、他の人々よりも豊かになることが出来ました。「人と同じことをしているようでは駄目だ」とここでも感じました。
この記事で紹介する最後の1人は退役軍人のJames。日本では私は自衛隊出身の人と接したことはありませんでしたが、New Yorkでは多くの退役軍人と接しました。Jamesは笑顔で冗談を言っている人です。いつもニコニコしているので、私もとても親しみ安かったです。こういう人は良いなと思います。そして話し上手な人なので、対外的な面談の場にはいつも出席していました。あと、事務所に所属しているメンバー(貧困層/移民たち)への電話をかけることを私はいつもお願いしていました。
私はこの電話を掛けることが本当に苦手でした。なんせ電話の話し相手はたいてい「英語が出来ない人達」だからです。そんな彼らに取っては日本人訛りの英語はほとんどの割合で通じません。そもそも事務所に訪れても、英語がわからない人たちはなぜNPO事務所がそこに存在するのかといった理由を理解できないのです。彼らは自分たちが抱えている問題を解決してくれる便利な人達といった認識しかなかった事でしょう。しかし、NPO事務所は現状の問題解決だけではなく、所属メンバーの将来のために色々なことを試みていました。そして、これが全く伝わっていない事が多かったです。だから「月例会があるから出席してほしい」という電話をかけても相手に通じないことが多いです。それは私ではなく、話し上手なアメリカ人のJamesが話しても同じでした。言葉が通じないと言うのは本当に大変でした。まあそういう難しい電話にも関わらず、Jamesは進んで協力してくれました。
以上で、3人の指導者の紹介を終ります。次の記事でJamesがそうである「退役軍人」についての悲しいお話を紹介します。